今日はアゲアゲで3回目の更新。
別にうちの学生と言うわけではないが。
若者は2極分化している。
1 自分の能力とか可能性について疑いを持たない。
2 自分の能力や可能性について卑屈なほどに小さく見てしまう。
この二つだ。
1の人は、多分小さい頃から「子供の無限の可能性」というような考え方において幸せに育ってきたんだろうと思う。これが現在の子育てのスタンダードだろう。しかし、このような子育ては正しいのだろうか。。。子供に無限の可能性はあるのか??
子供が今のように育て始められたのはつい最近らしい。確かにそうだ。つい100年間くらいまでは子供の地位は本当に低く、間引きされたり、女郎に売られたりしていたし、父権の名のもとに虐待や使役の対象にされていた。
子供とは本来無力な存在だったのだ。
無力な存在が無力でなくなるために必死で生きる。そうやって大人になってきた。
今の教育は本当に怖い。ろくに自分のこともできないうちに携帯とかPCとか、分不相応な力を手に入れて、体罰などの理不尽な暴力にさらされることも少ない。そして個性とか、そういったことが美徳とされている。特に勉強しなくても個性で大学に入れてしまう(AOとか)。22歳までは本当の意味での挫折を味わうことは少ない。
もちろん「豊かな心」は育つだろう。
ではその豊かなこころで「理不尽な社会」に太刀打ちができるだろうか・・・
それなりに勉強してそれなりの大学に入る。がんばることが美徳。
でも社会では努力しても報われないことも多い。だれもその努力の成果を補填してくれない。
がんばってもほとんど報われない。だけど働かないと生きていけない。おいしいご飯も食べられない。
最近の離職の多さはここらへんにも影響されているのではないかと思う。
だから1の若者を見ると不安になる。ずっと褒められるとそうじゃないときにどうなってしまうのか??こういう若者の多くはかなり打たれ弱い。ちょっとしたアドバイスしてもすぐに傷つくので何もいえなくなってしまう。でもひとりひとりはめちゃくちゃいい奴だ。
私は、両親にかなり厳しく育てられた。結果、2になってしまい、常に自己評価が低かった。だから、何かするときも、自分が人よりも劣っていると思い続けていた。今考えると、もう少し自己評価が高ければ私の「可能性」という奴ももっと無限だったのかもしれない。
やっと最近になって自分のことを許してやろうかと思えるようになってきたが、これはこれでさみしい。
しかも、20代の頃は生きるのに精一杯でなんのゆとりもなかったような気がする。
まあ投影なんだけど2の性格の人をみると応援したくなるけど・・・
何事もバランスが大事なんだろう。
子供たちを見ていると教育とか子育ての重要性を感じるがどうしていいかわからなくなる。大人の責任は燃え尽きるほど重い。
まあもう寝よう。関わった学生たちが社会の荒波の中でなんとかサバイブしていくこと祈るのみ。
社会人は8年たてば楽園になるけど・・・
それまでがしんどい。