努力の定義

 ふと思ったのだが、「努力」とか「頑張った」というものの定義は難しい。
 もちろん、人によっても違うが年齢や世代に寄っても大きく異なるのだろう。
日本にはまだまだ努力が高貴なものであるという考え方が根強い。今考えると部活動でも「同じくらいの実力なら努力している選ぶ」とかよく言われたな・・・
学生「努力して授業中一回も寝ませんでした」
   ・・・努力しないと眠くなる授業が悪いんだから寝ちゃって構いません。他の努力をしましょう。
 「がんばったもん。毎日部活動参加したもん」  これって努力??
 自分が好んで入った部活だったらそりゃ行くのは当たり前じゃん。インチキ努力だ!
 学校生活においても「皆勤賞」という意味不明な賞がある。
 これが社会人だったら、「仕事頑張ってます。毎日通っています」
 いやいや毎日行くのが当たり前ですけん。。。。
となります。じゃあ何をしたら努力として認めてもらえるか。頑張っているかどうかは自分でしか分からないので、人にアピールできる人が得をするところがあるわけです。
部活動の場合は、朝練とか(もちろん人がみている時間を見計らうことが大事)。
私が現場で働いている頃はそれをアピールするために、いつもカルテを読む時間をわざわざ19時に設定していた。別に、昼間に読んでもいいんだけど。。
 看護師の夜勤帯に限って病棟でカルテを読む。看護師さんは、「夜遅くまで真面目に頑張っているのね」と少しだけ思う。相談室にこもっていると誰も気づかない、。それだけで随分イメージが変わったような気がします。
僕自身は、そんなことしなくても仕事が出来ればいいと考えたりしているのだが、 でもこれは社会の縮図ですね。
実際には仕事もできないのに、ただひたすら努力アピールをしている人も多いんじゃないだろうか。
 努力の定義は難しいですねー。

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