発達障害について考える。
世の中に発達障害という概念が広まってずいぶん経過した。
発達障害者支援法が議員立法でできたのがH16年。
当初の発達障害の研修を見ていると、発達障害を持つ人々の特徴を啓蒙する内容が多かったような気がする。
「こういう個性があるから、こう対応したらうまくいく」という論調だ。
その後も、一種のブームのような感じで発達障害者はどんどん増えている。
一昔前では基準に当てはまらなくて、一人で苦しんでいた人が医療の現場に助けを求める事ができるようになった。これはメリットのひとつだろうね。
しかし、診断名がついてしまうといろんなところへの社会参加が困難になる側面もある。それは周囲の環境もそうだし、本人の気持ちの面でも。
発達障害を持つ人々について考えるとき、精神保健福祉士ついて一つの可能性を与えてくれる。
彼らに精神保健福祉士はなにをすべきか。
僕は彼らの、個性でない部分を大事にしたい。
様々な「個性」があろうとも、彼らのほとんどの部分はわれわれと同じなのだ。
共有できない価値観を理解すると同時に、共有できる部分をもっともっと大事にするべきだと思う。「人間が苦手」と「人付き合いを拒否」はまったく別物だ。
一昔前まで「発達障害者」がいなかったのではなく、周囲が共有できる部分で彼らと向き合っていたのではないだろうか。
「そんなこだわりほっといて、やることやれや」
みたいなノリが彼らを傷つけていたと同時に、彼らを障害者という枠組みに押し付けなかったという事実も忘れちゃいけないような気もする。
「診断名」が付くと、その対応についてHOW TOになりがちだが、あまり腫れ物に触るような雰囲気になるのはどうかなと思う。診断名が付いて、楽になるのは本人なのか、周囲の人間なのか。
物事には、いろいろな側面がある。
まあ今後の燃え尽きるような課題か。
人生良し悪し。一概には言えませんね。