評価されるということ。

昨日に引き続いて、若者論。

ほんとおっさんになってきたんだろうなあと思いながらつらつらと。
先日、OB会というものがあり高校時代の先輩やら後輩やらと話す機会があったのだが、高校の先生をしている後輩によると今の高校生には本当に向上意欲というものがないらしい。
彼の高校は県内での有数の進学校なのだが、そんな彼の学校でもそんな状況ならいわゆる底辺校はどうなっているんだろうね。。
彼の学校には寮があるそうなのだが、一昔前は寮に入る学生のほとんどは「家が遠い」が一番の理由だったのが、今は「朝起きれない」が理由の上位に来るらしい。
彼が言うにはやはりなんでも手に入る時代だからがんばらないのが当たり前になっているのだろうと。
大学も自分の学力で行ける範囲にしか行かない。それなりに勉強はするけど。
教師がはっぱをかけても「別にいいし」というノリだそう。
うんうん。非常に同意できる。
例えばスニーカー。僕が思春期の頃は、それなりの格好いいスニーカーを買うためにかなり苦労した記憶があるが、今ではABCマートにけばナイキのスニーカーが2000円で手に入る。
服もそうだ。しまむらに言っても、ユニクロにいってもそれなりに恥ずかしくない服が安く手に入る。
最低限の生活が恵まれているのでがんばる必要がないというのは確かにそうだよなあ。
そして、その社会が当たり前に続いていくと信じている。
極めつけは大学だ。
偏差値45以下の大学だと実際には試験なんてあってないようなもの。
高校までわざわざ説明に来てくれて、きれいな設備で行き届いた指導。
大学を評価して、選ぶのだ。
そうやって集められた学生が大講義室に集められて100人で授業を受ける。そして、50歳の教授の授業を評価するのだ。
「わかりやすい」「わかりにくい」「つまらない」などと。
大学の多くは、そんな彼らに迎合する。
そんなこんなで相手を評価することに慣れきってしまっている。自分が評価される立場になることが想像できない。評価される立場になることは極力さけてしまうので、実際に評価されるとほんとに打たれ弱い。
だって、ちょっと「大事な話がある」なんて言おうものならガチガチに緊張してるもの。
就職する時も、そう。この会社はどんな会社ですか?私に合いますか?
働く先を選ぶ、評価しようとしている。
そして、一社でも落ちようものならこの世の終わりみたいな表情。
どのような職についてもは、選ぶ立場じゃなくて選ばれる立場になるのはほぼ間違いないだろう。労働の対価として給与をもらうというのはそういうことだ。
仕事内容を選べるのはごく少数でしかないのに、すべての学生は仕事先を選ぼうとしている。
そして選ばれなかったら、自分の価値をすぐに見失う。
選ぼうとするくせに、選ばれなかったらもうおしまい。
自信たっぷりに選んだり評価するのであれば、自分を落とした企業を憐れむくらいの気概が欲しいよね。
実際に仕事にでると今までの生活とは完全に変わる。今までの感覚だといい先輩、悪い先輩。そこにはいつも同じ感覚をもった友達がいたんだ。
だけど、病院などに就職すると一緒になって上司を評価してくれる奴もいない。
あっという間に評価される立場に変わってしまうのだ。
そりゃあ大変だよなあ。。
しかし、社会は変わる。僕のような考え方はもう古いのだろう。
どうなっていくんだろうか。小学校、中学校、大学とすべての教育機関が彼らに対して教えるべきことを教えれないようになり、これを社会がなんとか是正できるとは思えないなあ。
そういえば先日学生と問答しているときに、僕は聞いてみた。
JJ   「大雪で公共交通機関が遅れてしまった時に、君が働かなかった一時間の給料はどうなる?」
学生「公共交通機関が遅れたのは不可抗力だから、仕方ないんじゃないんですか?」
少し安心して次の言葉。
JJ   「うん。給料引かれても仕方ないよね」
学生 「えっ?なんで  僕が悪くないのに給料減らされるんですか?」
ちなみにこの学生は非常に優秀で見所ある学生。
JJ    「じゃあ君が経営者だったら、雪が降ったら君が悪くもないのに、働いていない奴に給料あげる?」
学生  「なんで僕が悪くないのに給料上げないといけないんですか?」
うううーーーっん。
※これは正社員として働くことの保障とかは抜きにして書いているので誤解なきよう。
明日からもがんばるもんね!!
burnout

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