第25回-共通科目64

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我が国における戦前の低所得・貧困者救済の内容に関する次の記述のうち, 正しいものを1つ選びなさい。
1 恤救規則では, 生活困窮者が生活に必要な食料を現物で給付していた。
2 方面委員制度は, 救護法を実施するために創設されたものであり, これを契機にして全国に方面委員が配置された。
3 防貧的な経済保護事業においては, 公設市場, 公益質屋, 公営浴場などの施設が設置され, 更に, 職業紹介などの失業保護事業が展開された。
4 救護法の成立に伴い, 法の運営を行うために内務省に救護課が設置された。
5 軍事救護法は, 戦時体制において一般の生活困窮者及び軍人やその家族を救済の対象としていた。

選択肢1 誤り。恤救規則は貧困はあくまでも家族や近隣住民との助け合いで解決するべき問題でどうしようもない理由の者だけは助けるといった考えだったため, 救済の対象を無告の窮民 (身寄りがなく働く能力もない者) としていました。その方法としては, 「一 極貧ノ者独身ニテ廃疾二罹リ産業ヲ営ム能ハサル者ニハ一ケ年米壱石八斗ノ積ヲ以テ給与スヘシ 」とあるように, 米代を支給するという方法でした。よって現物給付ではなく現金給付です。

選択肢2 誤り。方面委員制度は, 大阪府知事林市蔵が, 小河滋次郎博士の協力を得て, 考案・創設されたものです。救護法はその10年ほど後の制度であり直接の関係はありません。後の民生委員制度の元となった制度です。ついでにその起源であるドイツのエルバーフェルト制度, 済世顧問制度 (岡山, 笠井信一)もチェックしておきましょう。

選択肢3 正しい。なんか句読点が多くて読みにくい文章ですね。ちょっと難問だと思います。おそらくここらへんからの出題です。

選択肢4 誤り。内務省に救護科が設置されたのは, 軍事救護法の成立時ですね。

選択肢5 誤り。軍事救護法は, 1917 年(大正 6)に制定された, 傷病兵および戦死者の遺家族に対する救護法です。一般の生活困窮者は対象になっていません。

公的扶助の歴史に関する問題でした。ちょっと難易度が高かったような印象です。今日はここまでー。


カテゴリー: 第25回共通科目, 低所得者に対する支援と生活保護制度 パーマリンク