今日は久しぶりに真面目な話。
先日、学生に対し課題を出したんだけどどうやらこちらの意図と、学生の受け取りにズレがあったみたい。
3割くらいの学生には、間違って伝わってしまったしまったみたい。
確かに配布資料を見ると、そのように見える節もある。
これは僕自身がだんだん年老いて来て世代間のギャップが拡がって来た事が原因なんだろうと思うとさみしくなってくるねー。
まあそんなこんなで対応してたんだけど、間違って伝わってしまった数名はさー。
「先生の説明が悪かったせいで失敗してしまった」みたい言い方を平気でしてくるんだよね。
まあそれも確かにあるんだし僕も反省も必要なんだけど、説明が分かりにくかったんだったら聞いてほしいよねえ。。
僕は結構緩い教師なので、たちまち間に合わなかったのであれば、次回にするのでそこらへんは特に不備は感じていないのだが、ここらへんの学生とのコミュニケーションの齟齬ってのは年々増えてる感じ。
昔僕の師匠と、このコミュニケーションの齟齬について話したことがあるんだけど、彼によると若者世代とおっさん世代のコミュニケーションの齟齬はほとんどが、
「これくらい言わなくても大丈夫だろう」と
「言ってくれんとわからんもん」
で説明がつくという。
おっさんからすると、
「最近の若いもんはこんなんもわからん。」
だけど
「教えてくれないと分からない」っていう感覚が若者の感じ方。
しかし、これは完全に教育機関の問題だと思う。
学生とのコミュニケーションの齟齬が怖くて、尋常じゃないくらいの過度の「説明」をくりかえすのが今の教育。
例えば、娘の三者懇談に行くと事細やかに成績の基準について教えてくれる。「提出物が10のうち8、中間テストが50点、平常点が70点なのは私語が何回かあったから」とか。
正直そんなんどうでもいいんだよね。なんか不真面目だからBみたいなことで十分だと思うんだけど。
だって社会の評価なんてそんなもんじゃん。
教育機関は「説明責任」という名においてトラブル回避の方策を練るばかり。その積み重ねで尋常じゃない量の「取り扱い説明書」を増やしていく。
大学の入学ガイダンスの資料なんて電話帳みたいな分厚さ。
あんな膨大な量の資料隅々まで読めないじゃん。
もちろん我が校でも同じ。
実習のしおりなんて僕が入職した5年前から1.5倍に増えてる。
最近なんて、お礼状の書き方、お礼状を送るタイミングまで記載する始末。
やっぱりこれって学校が責任のがれをしたいだけね。
言ったんだから聞いてない方が悪い。トラブルの責任は学校じゃなくて学生の質にあるっていうエクスキューズ。
「教えてくれないと分からない」ように育てたのは教育機関なんだよね。
でも実際に働き始めると、上司は僕ほど丁寧に伝えようとはしてくれない。もちろんクライアントはもっとそうだろう。働き始めたとたんにサービスの「消費主体」から「供給主体」にかわるんだもん。
がんばったらうまくいく、うまくいかないのは誰かの責任か自分の努力が足りなかったかのどちらかに原因帰属を求めてしまえるのが学校の中の公平。でもさ。だーれも悪くないのにうまくいかないことなんていくらでもあるのにね。
やっぱり、「努力が大事」、「信じれば夢はかなう」みたいなきれいごとの教育ってのは考え直した方がいいよなあと思ったりする今日この頃でした。
Burnout.