大学院 院生室

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 今日は大学院の部屋の整理をした。
僕のゼミの部屋からPCを移動させないとならないのだが、ちょっと一人で移動するのはしんどい。

そうだ、同じゼミ出身のHAPPYがいる。HAPPYならゼミ室に入っていても泥棒と間違えられることはない。

拉致して引越しのお手伝いをお願いした。
もちろん報酬はジャンボカツどん。

HAPPYは、

「どうして僕が今これを食べているのかわからない」

と言いながら、カツどんをひたすら食らっている。

後半になると脂汗をかいている。結局燃え尽きている。

すまないね~。明日は実習報告会。最後の学生の雄姿を目に焼き付けよう。

お手伝いサークル。

今日も仕事と大学院。休みなんてないや。

朝から愛すべき学生の好意にすがりついてお手伝いをしてもらう。あー本当に助かった。

しかし、毎年ですがこの時期はおセンチになる。
来週の月曜日で、学校も最後。
一年間の血と汗の染み込んだ教室ともお別れだなあ。。。

燃え尽きそうですわ。

冷静と情熱のあいだで

イベントごとがあるとどうしても人は盛り上がる。
僕はイベントがあっても冷静でいよう思ってしまう。逆にイベントのときに燃え尽きれる人がうらやましい。

ちょっと昔の話。うちの学校で学園祭的なものがあった。ちょうどその時はうちの学科では通信教育部のスクーリングがあり、滅多に見ることができないほどに多忙な時期だった。

まあ僕は、盛り上がるのが格好悪いという駄目な世代なので、冷静に過ごしていた(つもり)。

その時の盛り上がっている人々のアゲアゲっぷりにはすごいものがあった。
もう自分のことしか考えれない。たいしたこともでもないのに興奮していて怒られる。

僕は冷静に

「そんなに今すぐしなくてもいいですよね。優先順位を考えましょう」

って言っても勿論通じない。感情論で押し切られるし、もう理論も糞もない。

現場で働いている時も、アゲアゲなNSに理不尽なことを言われることがしょっちゅうあった。

僕はいつも思っていた。「後から恥ずかしくならないかな??」
正直そういうNSを馬鹿にしていたが、最近はちょっと違う。

いつも冷静で淡々としているよりも、アゲアゲになって恥ずかしい思いができる人のほうが人間的には豊かなんだろう。これは僕のウィークネスだ。でもそう簡単に自分は変われない。

いやだなあと思う人を見るとついついその人を反面教師にしてしまう。そうすると、その人みたいになりたくなくて、自分自身を律する。そうするとできることが減っていく。これは本当にウィークネスの視点だ。

たとえば女性関係にだらしない人を見ると、気軽にメルアドを聞くことができなくなる。確かに気軽にメルアドを聞くことはある意味「だらしない」かもしれないが、ストレングスの視点で見るとそれは一つのストレングスなのかも。。。。

Blogをはじめていろいろなことを考えるようになった。この垂れ流しの日記もそういう意味では僕のストレングスになればいいと思う。

信じることが大事

今日は学校にたくさんの学生達が来て盛り上がった。

主には雑談だけど、雑談の中からいろいろなことを学んでいるハズだ。

ところで、国家試験も終り、実習も終り、学生たちに来年の後輩たちのためにいろいろと問題添削等を頼んでいる。
今日も数名の学生に大量に問題を宿題として手渡した。

「報酬は焼肉ね!」と気軽に約束したが冷静に考えると、財布の中身が厳しい。
万が一クラスの全員が結構真面目に手伝ってくれたとすれば、焼肉一人4000円として、私も入れると4000円×16

64000。。。。

おいおい無理だろ。小遣いの2ヶ月分だ。燃え尽きるぞ。

ホームパーティにしよう。奥さんと一緒にものすごい心の底から歓迎しすればわかってくれるはずだ。

我が愛する学生たちに、

「約束が違う!」みたいなことを言う悪人はいないハズだ。
信じている。信じることが大事。

ゆとり教育??

今日はアゲアゲで3回目の更新。

別にうちの学生と言うわけではないが。
若者は2極分化している。

1 自分の能力とか可能性について疑いを持たない。
2 自分の能力や可能性について卑屈なほどに小さく見てしまう。

この二つだ。
1の人は、多分小さい頃から「子供の無限の可能性」というような考え方において幸せに育ってきたんだろうと思う。これが現在の子育てのスタンダードだろう。しかし、このような子育ては正しいのだろうか。。。子供に無限の可能性はあるのか??

子供が今のように育て始められたのはつい最近らしい。確かにそうだ。つい100年間くらいまでは子供の地位は本当に低く、間引きされたり、女郎に売られたりしていたし、父権の名のもとに虐待や使役の対象にされていた。

子供とは本来無力な存在だったのだ。

無力な存在が無力でなくなるために必死で生きる。そうやって大人になってきた。

今の教育は本当に怖い。ろくに自分のこともできないうちに携帯とかPCとか、分不相応な力を手に入れて、体罰などの理不尽な暴力にさらされることも少ない。そして個性とか、そういったことが美徳とされている。特に勉強しなくても個性で大学に入れてしまう(AOとか)。22歳までは本当の意味での挫折を味わうことは少ない。

もちろん「豊かな心」は育つだろう。
ではその豊かなこころで「理不尽な社会」に太刀打ちができるだろうか・・・

それなりに勉強してそれなりの大学に入る。がんばることが美徳。
でも社会では努力しても報われないことも多い。だれもその努力の成果を補填してくれない。
がんばってもほとんど報われない。だけど働かないと生きていけない。おいしいご飯も食べられない。

最近の離職の多さはここらへんにも影響されているのではないかと思う。

だから1の若者を見ると不安になる。ずっと褒められるとそうじゃないときにどうなってしまうのか??こういう若者の多くはかなり打たれ弱い。ちょっとしたアドバイスしてもすぐに傷つくので何もいえなくなってしまう。でもひとりひとりはめちゃくちゃいい奴だ。

私は、両親にかなり厳しく育てられた。結果、2になってしまい、常に自己評価が低かった。だから、何かするときも、自分が人よりも劣っていると思い続けていた。今考えると、もう少し自己評価が高ければ私の「可能性」という奴ももっと無限だったのかもしれない。
やっと最近になって自分のことを許してやろうかと思えるようになってきたが、これはこれでさみしい。
しかも、20代の頃は生きるのに精一杯でなんのゆとりもなかったような気がする。
まあ投影なんだけど2の性格の人をみると応援したくなるけど・・・
何事もバランスが大事なんだろう。

子供たちを見ていると教育とか子育ての重要性を感じるがどうしていいかわからなくなる。大人の責任は燃え尽きるほど重い。

まあもう寝よう。関わった学生たちが社会の荒波の中でなんとかサバイブしていくこと祈るのみ。

学校生活

今日も大学院で勉強して帰る。

私の働いている学校は非常にカリキュラムが極端。
4月から休む暇もなく、授業・授業・実習・国家試験・・・・そして実習。

すべてが終わった今、私の仕事は「少しづつやらなきゃいけないけど、今すぐしなくても構わない事」ばかり。
この状況が訳2ヶ月続く。周りから見ると暇そうに見えるが、実は、ちゃんと予定を立ててやらないと間に合わないという説もある。

やはり期限を決められないとがんばれないのは誰しもが同じ。

まあただ言えるのが、暇ではないが「退屈」には間違いない。

今日はなんやかんかんやで大勢の学生が来た。少なくとも退屈ではなかった。
あと、HPの写真館をリニューアルしたのでかなりいい感じになっている。(Sleepさんの功績だ)

今日のキーワードは「退屈」ということで、スポーツ大会 & 餃子会の日程を決めてみた(詳細はHP掲示板PCで~!)
燃え尽きませんように~

ああどうなのか。

最近ちょっと太ってきた。
また、最近撮った写真はすごい汚らしかった。
困った困った。
もう年なのか。体がキツイ。最近土曜日もずっと仕事があるのでほとんど休んでいない。
でも仕事はラクちんですが。。。

なにかおもしろいことないかしら。人生に燃え尽きてしまう。

福祉の精神

どうかなーーと思うがあえて書いてみよう。

医療や福祉の現場で働いているPSWがよく言う言葉。

「もう少し時間があったら、クライアントさんとゆっくり話せるのに」
「働き始めたらクライアントさんとゆっくり話す時間がなくなるけん、学生の間に話ときんさい」

本当にそうだろうか・・・

自分も5年目の時に同じようなことを言っていたような気もするが。

本当に時間があったらクライアントさんと話す???

今考えると、クライアントさんと話す時間がだんだんとしんどくなっていった。学生の頃の様に、クライアントと話すだけで満たされることは少なくなり、いろいろと考えないといけないことが増えて、正直責任が重かった。

もちろん相手が面接希望を出してくれると違うけど。ちょっと時間があいたときに病棟に行くというのはだんだん減っていた様な気がする。

だけどそれだと大切なものを見失う。だから自分にルールを課した。

具体的には、「どれだけ忙しくても絶対病棟で一時間くだらない話をする」というようなマイルールを決めていたのだ。
そうじゃないとついつい相談室でのんびりしてしまう。

どうなんだろう??

もちろん実習生の頃もクライアントさんと話し続けるのはしんどいときもあった。

「今日はフリーね」と指導者に言われた時は、一日中病棟にいなければいけないのでげんなりしていた。
そしてそんなことでげんなりする自分は福祉の世界に入っちゃいけないのかと悩んだ。

仕事を始めてからも同じ。

「忙しいからクライアントさんと話せない」

これはエクスキューズなんじゃないかな。

正直、しんどいことを抱えている人と話すのは簡単なことじゃない。それは相手がクライアントさんじゃなくても同じだよね。
だけどそういう「話す」という作業をしないと信頼関係は築くことができない。そこらへんが正直な気持ちだった。だからマイルールを決めた。

そんな自分を知ることが自己覚知じゃないのかなと思う。
やっぱりきれいごとだけじゃ本当に意味での援助とは言えないのじゃないのかと思う。

まだまだ青いのか。ただ無理すると燃え尽きてしまう。

私が今研究しているバーンアウトの兆候の一つとして、「管理的な仕事や事務仕事に没頭する」といのもある。
クライアントさんと関わるのがしんどいから他の仕事(目に見えて成果の見える仕事)に逃げてしまうのだ。

「クライアントさんのために」それだけじゃやっていけない。
結局クライアントさんを自己愛を満たすために使っている偽善者な自分がどこかにいることを忘れちゃいけないと思うのです。

いいじゃないですか、偽善者でも。悪人よりも偽善者でいたい。

高知を食らう

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今日は坂本龍馬が盛り上がっている土佐ぜよ。

昨年度の学生で高知出働いている人からの差し入れ(ちょっと要求した感じでごめん)。

豪華なカツオが届いたので本日は高知を食らう、

高知といえばやはりカツオ。家族で食べきれないくらいいただいたが、生鰹節もわざわざ買いに行く。

やばい。うまい。燃え尽きそうなほどうまい。

ありがとう・・・Love かっちゃん。

「家日和」 奥田 英朗

この人の本は昨年の学生に勧められて読んだことがあるが、どんな内容だったがよく覚えていない。
この間図書館にてたまたま見つけて2冊ほど借りる。この本は家のテーマにしたショートストーリー。

まあ、子どもと妻を持つ私にとっては結構楽しめた。ちょっと刺激が足りんけど・・・
若い人にとっては面白くないだろうね。読み終わる前に燃え尽きるかも。