研修ねえ。

急に思い出してむかむかすること。僕は仕事柄研修とかそういうことにいく機会が多かった。全国的にはどうだかわからないが、僕の住んでいる地域では、研修の多くは精神保健福祉士の協会が企画している研修。

精神保健福祉士の協会の皆さんの多くは仕事の合間に自分の時間を削って様々な企画を構成してくれてる。すべてボランティアだ。
これは本当に頭が下がる。

なんのお金にもならないのに本当によくがんばってくれている。

しかし、こういった研修には結構不毛に感じるものも多い。

特に先達たちの話を聞いて、そのあとグループワーク。こういった流れのものは結構つらい。

ひどいグループに入っちゃうと基本的に自分たちがどれだけ大変な中でがんばってるかというアピール合戦でマスターべージョンの見せ合いをしているような醜悪な感じ。
なんのための研修??自分を高めようとする感じがまったくない。

もちろん、精神的な面では得るモノはあるのだと思う。
でも、次の段階の研修はほとんど見当たらないのだ。
新しい専門的な知識や技術とか、こういったものはまだネットサーフィンしているほうがよほど手に入る。

自分がしんどいとかがんばっているけど認められないとかそういうのは、友達と居酒屋でやればいい話だと思う。そんなん専門職が集まっている研修でやらなくてもね。

そんなんわかった上で選んだ仕事でしょ。
わからずに選んだならそいつがあほなだけ。
わざわざ時間を作ってそんな愚痴で、傷の舐め合いを聞く必要はない。
そう思うようになってどんどん足が遠のいていく。

すると、

「JJは意識が低い。先生しているくせに」とかそういうくだらない陰口をたたかれたり。

自分の気持ちの処理をする場所は自分で持っているべきだ。僕は自分の教えている学生に、自分の気持ちの処理くらいは、そういう研修とかにいかんなくても自分や自分の友達たちと一緒に処理できるような豊かな人間になってもらいたい。

そう考えてみると、精神保健福祉士の研修のあり方は考えないといけない時期にきている。
ボランティアで仕事の合間にやるようなモノではなく、講師にもしっかりとお金を支払って、参加者にも会費を要求する。研修に行くことが目的で自己愛を高めるようなもんじゃだめだよ。

それぞれが自分の時間に価値を見いだせるようなものにしないとあかん。

あーーBurn Out。

誰がために

精神保健福祉士は、PSWと呼ばれる。資格化されてまだ10年と少しまだまだ若い資格だ。
多くの先輩達が、資格もない、地位もない、給料もほとんどないままに創り上げてきた職種。

現場で働いている人たちの半分くらいは、資格のない時代から働いてきたいわば筋金入りのソーシャルワーカー。彼ら一人一人は本当にスペシャルな人々だ。というかスペシャルな人じゃないと生き残れない世界だったのだと思う。

僕が育てているのは、資格もある、職域が確保されている、社会的地位もまあそれなりある仕事としての精神保健福祉士を目指している学生。正直、今の現状はスペシャルな人でなくてもそれなりに仕事をしていれば生き残ることのできる業界になってしまっている。

「最近の若者は」というフレーズは、ずいぶん昔から使い古されている言葉だそうなのだが、やはりのこの言葉がついつい思い浮かんでしまう。

そういう若者と、先達との間にはやはり仕事に関する姿勢に大きな乖離が見られるのは仕方がないことなんだろうなと思う今日この頃。

僕の年齢では、どちらかというと後者。
この資格を取る時の動機としてはどうしても安定とか、不況がキーワードになってしまっている現状があるよね。

なんだかうまく言えないのだが、PSWに限らず多くの対人援助職が大きな過渡期にあることを感じるのだ。

人を助けたい、人の役に立ちたい、感謝されたい。

こういった感覚はPSWとしては乗り越えれないといけない壁。

共に生きる、援助しながら自分自身が成長する。

それがPSWとのアイデンティティだったと思う。

そういう感覚を育てるのが教員の仕事だと思っていたが、そもそも人を助けたい、人の役に立ちたい、感謝されたいとう感覚すら持たない学生も増えてきたような気がする。

別に人は好きでもない、自分が楽しく生きていきたい。安定していて楽な仕事を探したらそれがPSWだった。

そういう感覚で、職業としてPSWとを選ぶ学生も増えてきているのが実感だ。
そうだよな。国家試験とはいえ、正直難易度はその他の資格に比べると簡単。

それなりに頭が良くて、要領がよければ取れてしまう資格になり下がっているのだ。

でも悲観してばかりはいられない。これは個人の問題ではないのだ。
社会全体が変わっていく中で資格も職業倫理も変わっていかなければならない。
そのために何が出来るのか、ちょっと真面目に考えていく必要がある。

性善説ではただの愚痴しか出てこない。

まあ酒をのもう。

Burn out.

 

スティグマ

久しぶりに頭が沸騰するまで考えた真面目な話。まずは写真を見てください。

イメージ 1

現在の在学生が、JRの駅構内で見つけたものを写真に撮ってきてくれた。
コカコーラのトリプルXという商品のポップだ。

この写真を見て、どう思うだろう??

多分こころの病気に関わる人は、当事者にせよ、家族にせよ、援助者にせよ、なにか違和感を感じたと思う。

一言に「統合失調症」という言葉でもいろんな人がいろんな感情をもつのだと思う。

僕自身が最初にこの写真を見たときの印象は、なんとも表現できない。
ただ、「違和感」だったのだ。

授業の一部を使って学生から意見をもらった。
皆いろいろ意見を出してくれた。

「そもそも科学的根拠はあるのか?」
「統合失調症は、夜遊びとかと同列に扱えるものなのか?」
「病気に苦しんでいる当事者の気持ちはどうなのか?」
「ある意味では、病気を隠すものではないという考え方が定着してきている」

うむむ。いろいろ感じるものはあるよね。

例えば、

「うつ病になった」という言葉一つとっても世代や環境によってその意味は大きく変わると思う。

僕自身はまだ30代だが、50代の人にとっての「うつ病になった」と20代の人にとっての「うつ病になった」には大きな違いがあるのは実感している。どんな違いかは言葉にできないがよくも悪くもだ。

精神分裂病が統合失調症という呼び名に変わったのはなぜなのか。もちろん言葉の響きもあると思うけど。

例えばこのキャッチコピーが「糖尿病に効果が期待されます」だったら僕はこんなに違和感を感じただろうか。もしかすると、差別的な感情を持っているのは専門職である自分自身なのかもしれない。

批判するだけではなく僕は知りたかった。コカコーラ社がどのような経緯でこのフレーズを使ったのか。企業にとってこのフレーズはメリットがあるのだろうか?

学生から応援してもらって僕はコカコーラ社に電話してみた。
「批判ではなく、その経緯が知りたい。それを考えるきっかけにしたい」というような内容だ。

解答まで3日間待った結果が今日帰ってきた。
「すいません。ご指摘ありがとうございます。一部地方でのみ出しているポップで本社では把握していませんでした。病気を持たれているみなさんの気持ちを考えると浅はかな内容だと思います。速やかに撤廃するように指示しました」とのこと。

どうやらこういうポップは地方に応じてある程度フレキシブルに作成しているということらしい。
今回のトリプルXでは「楽しむ」ということがテーマだったらしく、そういう部分にはあまり気を使わなかったということだそう。

例えば奈良だったら「鹿も元気になります!」みたいなご当地ポップを作ったりできるようなシステムだったらしく、本社ではそこまで管理してないということだったんだって。

対応してくれた人の対応はとても丁寧だった。だけど、明らかにタブーに触れたくない、オオゴトにしたくないという態度が見えてきた。少なくても、あのポップを印刷するためにある程度のコストを掛けているはずなのに、 1教員の電話一本ですぐに各店舗に通達するのは過敏な対応だと思う。
やはりまだまだ差別の根は深いのだ。

僕は一般の人がどう考えているか知りたかった。
少なくとも、今の日本では「僕は統合失調症です」ということには結構勇気がいることだ。

僕が援助していたクライアントにも、職場に病名を隠すために昼の薬を飲まなかった人もいた。
病気を隠して夜勤している人もいた。長期入院のクライアントの家族には、血縁者に統合失調症のクライアントがいることで、縁談が破談になったという人もいた。

今回のポップそのものはどうかと思うけど、隠して差別を受けなくてもいい社会ができるその過程であることを期待していた。

うまくまとまらない。みんなどう思う?

Burn out

絶対評価と相対評価

久しぶりにまじめな話。僕の出身中学高校は、いわゆる進学校というヤツだったので成績は常に絶対評価だった。

卒業生と話していると、病院などでは相対評価になりがちみたい。

特に主観的には相対評価になってしまう。

「あいつよりはできるはず」

とか

「なんであんな奴とおなじ給料なんだ」

とか。

しかし、無限に広がる社会では、結構絶対評価が正しいのだと思う。

相対評価の価値観を持ってしまうと人間に成長はない。
特に、PSWが働く病院や施設などは基本的に人数も少なく、大きな移動もない。

一般的な社会に比べるとものすごーーく小さな社会なのだ。

自分の能力とか目標とかを、相対評価で図ってはだめだ。
対人援助職で自分の力(こういう言い方をすると誤解を招いちゃうかな)を図るのは、クライアントの満足度と職業的倫理しかない。

働いているときの愚痴のほとんどが、病院の対人関係だった。
でもね。

病院なんて、多くたって働いているのは500人くらい。
その中で誰がすごいとか、だれがだめだとかそんなのちっさいなあと思うんだよね。

僕が働いていた現場では、一年に一回投票で一番がんばった奴が投票で選ばれていた。
とても天狗な話なのだけど、僕はそのたびに選ばれなくても間違いなく自分が一番がんばっていると自画自賛していたが、これは明らかに相対評価だなあ。。。青かった。。。

うまく表現できないのだが。。。

Bunt Out。

 

分相応

今日は妻の誕生日と結婚記念日でした。
幸せな毎日に感謝しています。

ところで先日大学院の卒業式があった。
大学院の卒業式は、いわゆる大学生と一緒に行われる。

京都大学では学生の個性を尊重してコスプレなどで参加する学生もいるらしい(今年は震災の影響で辞し自粛したという話もあるが)。

わが大学でも悪ノリしてる学生が多数。
派手な紋付袴はまだ許せるが、学長が話している間に大声で笑ったりする奴らも。
いろいろもりあがっているものどもがたくさんいたのだ。

わかるよその気持ち。四年間の最後だもん。ぱーーとしたいよね。

でもね。でもね。

ここは、地方の私立大学なのよ。
コスプレしてる京都大学は採用されても、大騒ぎしてる我が大学の学生は採用されないのが社会だったりするんだよね。

逸脱した行動には責任が伴うんだよ。

Burnout

おでん

今日は修了式も終わり、家に帰っておでんを食べた。
とてもおいしかった。

この2年を振り返ると本当にいろんなことがあった。
毎日毎日研究ばかり。仕事、研究、仕事、研究。

入学した頃は、正直に言って先生たちがなにを話しているのか分からなくてただひたすら「分かっている顔」をしていた。今は、8割くらいは理解できる。おいおい8割かよ。

パソコンもWordとExcel しかできなかったのに、気づいたらいろいろと出来るようになってちょっとしたプログラムまで分かるようになった。

しかし、英語は最後まで逃げっぱなしだ。英語のばかやろう。

大学院に来て一番分かるようになったことは、人間の可能性についてだ。
僕は、自分は駄目な人間だと思っていて、自分よりも明らかに賢い奴とか、運動神経のいい奴にいつもコンプレックスを抱いていた。

しかし。やはり不可能はないのだ。できないとあきらめると成長はそこでおしまい。
やればできる。本当の意味で「やれば」。

僕の学校の学生たちも入学当初の学力で考えるととても合格しそうにない奴もいるが、その予想を覆した学生もたくさんいる。

言い訳しちゃ駄目。本当に本当にやればできないことは人間にはなにもない。
しかし、いくらがんばってもキムタクの顔にはなれないけどね。

ちなみに、僕ははげたくなくてかなりがんばってるけどこればっかりはどうしようもないね。

燃え尽きました。来年度までゆっくりしよう。

君は本気?

明日は卒業式なので少しまじめな話を考えてみよう。
とはいっても今年はこのblogを読んでいる学生はいないと思うが。。。

私の所属する学校は、大学を卒業した人を入学要件としている。
入学生の半分くらいは、大学新卒で残りは社会人経験者だ。

精神保健福祉士になりたいといっても、その動機はさまざまである。
家族や友達が心の病にかかったり、自分自身が精神的な苦しみを抱えた経験があったりするような、いわゆる「本気の学生」と仕事でうまく行かなかったり、就職が決まらなかったりした結果、資格取得を目指す「流れの学生」

こういうふうに書くと誤解を受けることが多いが、長く現場で働いたりする上では、実は「流れの学生」のほうが、うまく行くことが多い。

あんまりにも理想に燃え続けたりすることは、やはり精神衛生上よくないのだ。
ちなみに、精神疾患を理由とする労災請求は医療、福祉分野がダントツの1位。
心を支える専門家の精神保健が蝕まれている。

卒業生もこのあやふやな社会でなんとか生き延びてもらいたいものだ。

節電の嘘。

(中国電力のホームページより)

このたびの東北関東大震災により被害を受けられた皆様に心からお見舞い申し上げます。

当社はお客さまへの電気の安定供給を維持した上で、地震が発生した11日夕方から、東日本地域に可能な範囲で電気の融通を行っております。[注]

なお、現時点でお客さまに節電をお願いするような状況にはなく、当社名で震災に関連してお客さまにチェーンメールを送ることはございません。
[注] 東日本と西日本では、電気の周波数が異なることから、当社が東日本地域に送電するには、周波数を変換する必要があります。この周波数変換施設の容量は上限が決まっております。先ほどの、節電についてのこと。

蓮舫大臣「国民全体に、節電をお願いします」これはデマコギーだ。これに対しての有識者のコメントもひどい。

まだまだ日本全体が、パニック状態にあるということだ。
今日、ちょっとしたイベントがあったのだが、そこでも代表者が節電について述べていた。

繰り返すけど、中国地方での節電は意味がない。少なくとも痛みを共有するという意味以外は。
僕は提案したい。今は普段通りの生活をすること、経済活動をすることが、回り回って被災地のためになる。そして、今は痛みを共有するのではなく、節電よりも募金をしよう。

燃え尽きるまで。

薬が欲しい。

実習報告会を見て思ったことがある。
多くの学生が、精神病院における社会的課題に対して「長期入院」を挙げていた。

確かになあ。精神保健福祉士は、長期入院を余儀なくされたクライアントの人権や、そうなるにいたった社会背景やらさまざまなことを考えていくために生まれたような資格だもんなあと改めて考えてみた。

精神保健福祉士が誕生し、10年以上経過してもまだこの問題は解決していない。それは多くの先輩たちが死力を尽くした結果であり、たぶん新人が少々がんばったくらいではそう簡単に退院までは結びつかないよね。

でも、誤解を恐れず言うならばこの問題は20年後には自然と解決する。
長期入院クライアントの多くは、そういう年齢になってきているのだ。もちろん、新しい長期入院を生み出さない努力は当たり前のこととして。最近、初回入院のクライアントさんの多くは短期間で退院する。ただこれは精神保健福祉士のアイデンティティである人権の見地ではなく、医療的な理由も大きいのだけれども。

んで、20年後、長期入院がなくなり、ホスピタリゼーションのない世の中で精神保健福祉士は何をしよう?
「人権」って言うけど、それだけだと一つの病院に今ほど人数いらないよね。他職種も人権に対する研修を重ねてるし。
「制度」って言うけど、結構制度のこと知らないPSWも多いよね。

今、長期入院や生活障害を全て治療してくれる薬ができると僕らの仕事の大部分はなくなってしまう。
なんか矛盾した仕事だ。

と上手く言えませんが、精神保健福祉士になりたての若者さんたちは、20年度あなたはなにしてるのか考えて見て欲しいなと思いました。
未来に向かっての資格を導くことも一つ意識して欲しいですね。
資格ができてまだ10年ちょっと。20年後には、皆さん精神保健福祉士のパイオニアですよ。

Burn out

何のために

備忘録的にまじめな話。

さっきYahooのトップページを見ていると、知恵袋で「孤独」についていろいろ質問しているのを見た。

改めて考えてみると、大人になるまでに孤独との付き合い方や孤独を癒してくれる場所を自分で構築しておく必要があるのだろうと思った。
実際、私は就職した頃も職場の中でなかなかなじめないような気持ちがしたりしてうまくいかなかった。が、そもそも職場というのは働くために来ているところで、友達を作りに来ているわけではない。特に専門職である以上、馴れ合いが自分のすべきことの反対の作用になることもあるだろう。

また、現在私が勤めている学校もあくまで立派な精神保健福祉士になるための学校だ。決して友達を作ることが目的で学校に来たわけでもないはずだ。
もちろん、結果として一生の友達と出会えたりすることもあるが、目的を履き違えてはいけないんだよなとも思う。

でもね、結局人はそんなに強くないんだよね。いくら意地張っても一人で居るのはつらいしね。
こいつらアホだなーーーと思いながらもやっぱり自分を信じきれないものだ。
そうこうしているうちに仲良くなっていたりね。。。

もし、今職場になじめない人がいたら振り返ってみよう。なじめない位のほうがいけてるPSWかもしれないよね。

ちなみに、歴史家のエドワードキボンは、(ちなみにWikiに出てくる写真は、太っていた頃の自分にそっくり)
「話は理解を豊かにする。しかし孤独は天才の学校である。」と述べたそうです。

孤独はつらいし、格好悪いけど誇り高い孤独もあるんかいな。

Burn Out